「みんなでたべると、おいしいねぇ。ねえ、みんな!」
息子一家の家で夕食を食べているとき、3歳の孫が突然身を乗り出して楽しそうに大きな声で言いました。好き嫌いは多いし、自分からおいしいと言うことなどなかったので、初めて聞くその言葉に驚き、大笑いしました。みんなの顔を見て、嬉しそうに何度も言うのでおなかを抱えて笑いました。
コロナ禍でこの2年間、朗読講座の後など、生徒さんたちとランチを楽しむことができなくなりました。職場ではいつも一人で黙々と昼食をとっています。「おいしいね」と言うこともないので15分ほどでランチタイム終了です。自宅では夫と二人で食卓を囲んでいます。料理もメニューを工夫して作るようになりました。時々、息子の家に行き夕食を作ってあげて、食卓を囲むのが楽しみです。孫は私の作るハンバーグが大好きでよく食べてくれます。私は料理が上手ではありませんが、コロナ前はよく友人たちを自宅に招いて食事会をしていました。10人ほどを招待することもありました。みんながおしゃべりをしながら「おいしい!」と喜んでくれる顔を見るのが大好きなのです。それは、そういう環境で育ったからだと思います。
祖母が元気なころ、我が家には、お正月ともなれば伯母叔父一家もやってきて、多い時には25人も集まって新年会をしたものでした。私はいつも中心になっておしゃべりしていたので、料理を手伝った記憶がありません。母がひとりで頑張っていたのでしょう。本当に申し訳ないことをしたと、今になって後悔しています。あの頃の私は、まさに「みんなでたべるとおいしいね、ねえみんな!」という心境で、食べることと場を盛り上げることに夢中でした。母は文句も言わず、せっせと給仕して後片付けもしていました。会話には加わっていましたが、食事は口にしていなかったのではないかと思います。私にとっては楽しい新年会でしたが、母にとっては苦痛だったのかもしれません。でも、みんなの喜ぶ顔が見られるから我慢してくれたのだと思います。
「みんなでたべると、おいしいね!」という孫の言葉で、さまざまな食事のシーンが頭の中をかけめぐりました。「まきちゃんは、ハイカラな料理を作ってくれるねぇ」と、喜んでくれた母の顔が思い出されます。「お母さん、今はレパートリーも増えて、料理の腕も上がったよ」。今は亡き父と母に手料理を食べてほしいと無性に思います。みんなで食べるごはんはおいしいということを教えてくれた母に、あらためて「ありがとう」そして「ごちそうさまでした」。