Welcome

★これからの予定 & これまで

2007-12-10 17:00:00

2007年8月9日(木)、米原公民館大ホールにて開催された「平成19年度滋賀県学校給食研究大会」で講演会を行ないました。

演題は「おいしく食べてイキイキ元気」。イキイキ生きるための秘訣や、子どもたちの食育についてお話ししました。

自分の思いを伝えるためには、話し方の練習も大切。客席を回り、みなさんにも「調音」(早口言葉)に挑戦していただきました。

壇上にも上がっていただき、話し方の練習。ご協力いただいたみなさま、どうもありがとうございました。

2008年10月、滋賀県で行なわれる「第21回全国スポーツ・レクリエーション祭」(スポレク滋賀2008)のマスコットキャラクター「キャッフィー」と記念撮影!


2007-12-03 17:52:00

2007年7月27日(金)、福井県敦賀市にて開催された第52回「子どもの幸せを考えるつどい」で講演会を行ないました。
講演会の写真と、その翌日に訪れた「ささえたまご農園」、「気比(けひ)神宮」の写真をご覧ください。

演題は「子どもの心と体を育むために」。

講演会では、会場の皆さまにもマイクを向けて参加していただきました。

早口ことばに挑戦していただいているところです。

講演後、主催者のおひとり川浪博子さんが、「ささえたまご農園」に案内してくださいました。佐々江良一さん&奥様と記念撮影。

金網の中に入ると、元気な鶏がいっぱい! 茶色い鶏はボリスブラウンという種類で、450羽が放し飼いにされています。「ほら、おいで、おいで!」キャベツの葉を差し出すと、さっそく1羽がやってきました。

キャベツの葉に気がついた鶏が集まってきました。かなり迫力あります。放し飼いなので、ストレスがないのでしょう。とにかく、元気な鶏たちでした。

佐々江さんの事務所でお話をうかがいました。好きだから…と、サラリーマンから転職して始めた養鶏は、餌は米糠など自家配合発酵飼料で、水は谷川から引いた自然水。だから鶏が元気なのでしょう。ここでは、たまごを使った料理教室も開いているそうです。

こちらは烏滑鶏です。250羽飼育しているとのこと。ボリスブラウンに比べて神経質なのか、ジッと私を観察していました。羽の白い色がきれいでした。

烏滑鶏のたまご。黄身の上の白い点が胚盤。烏滑鶏は、20日間水も飲まず餌も食べず、卵を温め続けるそうです。これをいただくから、「命をいただきます。」自然と感謝の念がわいてきます。

「けいさん」の愛称で親しまれている気比(けひ)神宮の、 高さ11メートルの大鳥居前で記念撮影!


2006-12-28 18:04:00

2006年2月27(日)、宮崎県綾町で講演しました。テーマは、「明日をイキイキ生きるために~笑顔は元気のバロメーター~」。
綾町では、2月25日から3月5日まで「雛山まつり」を開催中。女性は山の神とされ、山の神が住むのにふさわしいものでお祝いしようと、雛山の飾りつけが行われるようになりました。山や川で拾ってきた木や岩、花木、苔などで、山の神が住む風景を再現したものが雛山の始まりだそうです。
綾町にある「輝葉(てるは)大吊橋」の写真もあわせてご覧ください。

演題は「明日をイキイキ生きるために~笑顔は元気のバロメーター~」

綾町中央商店街の坂田百貨店の店先にある雛山。

宿泊先、綾川荘の雛山

坂田百貨店の前で、坂田美寶子(みほこ)さん(89歳)と曾孫の彩ちゃん。4世代で雛山を楽しめるなんて、素敵ですね。縁台に腰掛けたふたりに、通りかかった人たちが次々に声をかけていきました。

綾町の前田穣町長と、自然休養村センター「綾川荘」にある囲炉裏を囲んで綾牛や、綾町のおいしい野菜に舌鼓。

綾町の「輝葉(てるは)大吊橋」。高さ142m、長さ250m、幅1.2m。綾町の自慢は、カシ・シイなどの照葉(しょうよう)樹林です。
一年中緑の葉をつけている広葉樹の森を守ろうと、1984年に大吊橋を架設しました。

「輝葉(てるは)大吊橋」から下を見ると、川が一筋・・・。高所恐怖症の人は、足がすくんでしまうかもしれません。私は、大丈夫でしたが、大自然の迫力に圧倒されそうでした。


2006-12-19 18:10:00

町中のお年寄り達が大集合。ご夫婦なのに、照れているのか、離れて座っているので大笑い! 健康法などをインタビューしながらお話しましたが、会場には笑い声が溢れていました。

講演が終わってから、町長と記念撮影。「病気にならないようにするためには、日ごろの心がけが大切」と、町長は話していらっしゃいました。

佐賀町は、3月20日に、隣接する大方町と合併し、現在は「黒潮町」となりました。佐賀町としての最後の講演会。町長としては感慨深いものがあったのではないでしょうか。

 

 


2005-12-22 18:15:00

2005年8月27日(土)、東京動物園友の会のイベントの一環で、元同園職員の澤田喜子さんが戦中戦後につづったエッセイの朗読会が行われました。

 

「猛獣類処分」の命を受けて、動物たちには毒入りの餌が出されました。でも、象のジョンとワンリーとトンキーは食べませんでした。
水も飲ませてもらえず、日に日に弱っていきました。芸をすれば餌がもらえると思って、足を折り、鼻を高く持ち上げる象の姿を見て、飼育係はたまらなくなり、そっとバケツに水を汲んで与えたこともあったそうです。

【澤田さん(1943年8月撮影)】

澤田さんたちは、象と最後の記念撮影をしました。自分たちの運命を知る由もなく、象は頭を振って機嫌がよかったそうです。

澤田さんは、残念ながら2004年の暮れに亡くなってしまいました。澤田さんの、動物たちに対する優しい眼差しと、瑞々しい感性に感動しながら、心をこめて読みました。

【餓死してしまった象のジョン(オス)】 このときは、会場からすすり泣きの声が聞こえ、私も涙をこらえて読みました。

戦後は、海外から動物が送られてきて、少しずつ動物園もにぎやかになりました。